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神 辺 城・城 跡 発 掘 調 査 図  (1977) 昭 和 51 年 調 査
 山 城 神 辺 城 想 像 図
昼間の神辺城
夕暮れの神辺城
月夜の神辺城


建武の年 (1335)年に浅山条就が築城して、簡単な山城を築城し南北朝時代の70年間の戦争に巻き込まれ、そして尼子氏と大内氏との戦いで天文11年(1542)尼子氏が勝利し傘下におさめて19年間の間に本格的な山城の構築が行われたものと思われる。その後、1544(天文13)年に毛利元就が部下の功績を褒めるために出した感謝状には「固屋口の合戦」という言葉が出てきます。現在の県立神辺高等学校周辺は地元では「こやの内」と呼ばれており、この辺りにあった武家屋敷を中心に激しい6年間の戦いのすえ毛利が勝利し毛利元康が城主として神辺城に入城する。
毛利時代・福島時代の約30年間のあいだ、近代的な増築・築城が行われても不思議でないと思う。元和5年(1619)水野勝成が神辺城に、入城し福山城築城にあたり神辺城からの移築と京都の伏見城から移築され日本最後の本格的な築城が完成し当時10万石の入封ながら将軍家の許しを得て30万石相当の福山城が完成しました。このように歴史ある神辺城跡と

福山城の文化遺産を大切にしましょう。

(神辺城ルーツ の説明文)と(発掘調査図)は神辺町史から引用。