福山城の全景
明治初期国産カメラ代一号機にて撮影された福山城全景写真。現在駅前交番あたりまで入り江が来てました。当時の川幅は35M~45Mありました。

伏見城と天守閣
此の写真は明治中期頃,南側から撮影されたものです.夢殿の下には武家屋敷が残り,江戸時代の面影が偲ばれる写真です。第一堀も見る事が出来ます。

汽車が見える福山城
明治中期国鉄の前進に山陽鉄道が開通し、尾道から笠岡まで往来していました。昔懐かしい長い煙突の蒸気機関車を見る事が出来る貴重な1枚いの写真です。

伏見城と商店
此の写真は明治末期頃の写真です。左側の商店の前進は神辺第1櫓(天守閣)が有り、廃藩置県まで神辺城の勇姿が見る事が出来ました。

福山城を囲む民家
大正6年に撮影された写真です。左側にそびえる2本の煙突は敷島紡績です。現在の駅前交番付近まで入り江が有り此の工場に必要な石炭舟が往来していました。

福山城天守閣
此の天守閣の写真は大正初期から終戦前までの福山城天守閣です。元倭年5年(1969)水野勝成神辺入城、1622年に福山城を築城、水野・松平・阿部3代の城です。

廃虚した福山駅
1945年8月8日の夜福山空襲が有り、此の写真は翌日の朝の駅構内の光景です。☆犠牲者数・354名☆焼失家屋数・10,179戸☆重軽傷者数・864名☆被災地人工・47,326人

伏見城と復興
此の写真は終戦から、1年後の福山城付近の復興地域の光景です。伏見櫓が残った理由は、旋回型の爆撃でなく編隊爆撃機か南から北へと直進したため、爆撃から外れました。

伏見城の勇姿
此の写真は1963年(昭和38年)の写真です。3年後(1966年)昭和38年に現在の天守閣、その他の櫓が新たに復元され市民のシンボルとして存在しています。

おもに、東側の櫓・南側の櫓と中央の屋敷は京都伏見城から移築し、西側と北側の主要櫓と東方2層の櫓と南方の櫛形櫓は神辺城から移築されたとされている。天守閣の建築資材は青森から舟で運ばれました。この福山城は日本最後の城郭建築でわずか3年の月日で築城されている。